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ドブロブニクは城壁に囲まれた小さな街。そこに5泊もした我々。 3日目は旅行案内所で日帰りツアーを申し込んだ。前日、張り切って申し込んで、現金払いというのでなけなしのユーロで支払ったのに(一人50ユーロ)、当日集合場所に来たガイドのお姉さんが2人分しか予約が入ってないんだけど、と言う。 クロアチア語というのはスラブ言語とラテン語のあいの子のような言語で、聞いていると時々イタリア語かと思う。だから言っていることが何となく分かる。2人って聞いてたのに3人なのよ、参っちゃうわよ、というようなことを言っている。 しばらく待って、じゃあ3人でOKということになる。 当たり前じゃ、3人分150ユーロ、耳揃えて払ったじゃん、と思いながらミニバスに乗り込む。 説明は当然英語。後で、フランス語のツアーもあったのかな、フランス語にすればよかった、と思った。お姉さんが歴史や観光名所を英語で説明してくれる。英語なので40%くらいは推測なのだけれど、両親にも一応大抵を説明してあげる。 ところで行き先はボスニア・ヘルツェゴビナにあるモスタルという街。 この橋で有名。 この橋もユーゴスラビア紛争のときに壊されてしまったものをユネスコの援助で再現したものだ。 ボスニアはユーゴスラビアから独立した国の中でももっとも復興が遅れている。 クロアチア人、ボスニア人、セルビア人がいがみ合って暮らしている。ガイドのお姉さんはボスニア人だったけれど、結構シニカルな人で、この3つの民族が話す言語の違いは名前だけ(つまりほとんど差がなくて、方言のようなものらしい)と言って皆を笑わせていた。 チトーのころは彼のカリスマ性で何とかまとまっていた国が、1980年のチトーの死後11年経って内戦に入った。 クロアチアよりもボスニアの方がまだまだこんな風に戦争の跡を垣間見ることができる。 焼け落ちた家と、弾痕の残るアパートの外壁 モスタルの街を走る市バスは皆日の丸をくっつけている。多分日本が援助しているのだろうと思うけれど、ボスニアなんていうところで、日本のあの国旗を見ると、思わず「頑張ってくれよ」と愛国心がわいてくるのは不思議なところ。
by paradisdeakemi
| 2012-10-01 03:00
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